セルバンテスの短編『ジプシーの娘』

 セルバンテスの「模範小説集」の冒頭を飾るこの作品は、世にもめずらしく美しいジプシー少女プレシオサと裕福な貴族出身のドン・フアンの恋物語です。近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語とされているようですが、スペイン人の友人によれば、かつてのスペインにはpayos(非ジプシー)とgitanos(ジプシー)の二文化があり、互いに習慣も異なっていたようですが、最近はモロッコ、南米、ルーマニア等からの移住者が増え、文化も多様化したため、ジプシーが特殊扱いされることはないそうです。もっとも、セルバンテスの頃のスペインではジプシーは泥棒になるためこの世にやってきた、すなわち泥棒の両親から生まれ、泥棒たちに囲まれ、泥棒の仕方を教えられて育ってきたといわれていました。『ドン・キホーテ』と同様、この作品でもセルバンテスの筆はそれぞれの登場人物を見事に活写しています。また、当時流行したロマンセ(小叙事詩)のほか、俗謡(ビリャンシコ)、民謡(コプラ)なども登場します。ロマンセのいくつかはその後ガルシア・ロルカの『ジプシー歌集』でも紹介されているようです。そして、ジプシーたちのロマンセはなによりも「誇り」を歌っています。

 主人公プレシオサはジプシー老女の孫として育てられました。世にも稀な美貌に加え、ジプシーとは思えない賢さ、正直さ、慎み深さを備えています。祖母と二人で各地を巡っては歌と踊りを披露して生計を立てていましたが、彼女の姿はさながら天使のようで、あらゆる人々を魅了します。

 ある日、マドリードで若い貴族のフアン・デ・カルカモがこれまで見たこともない美しい彼女に出会い、一目惚れします。そこでジプシーを装って近づき、彼女の祖母に大金を約束し、引き換えに彼女を得ようとします。しかし彼女は、結婚のためには互いをよく知る必要があるとし、そのための条件を示します。それは金を払うのではなく、彼が2年間ジプシーの世界に住むことでした。

 フアンはその条件を受け入れ、自らの名をアンドレス・カバリェロと改め、プレシオサと行動を共にします。ところが、ムルシアに着くと、アンドレスに恋心を抱くある女性が二人を夕食に誘います。しかし彼が拒否したため、彼女は怒りに燃え、仕返しを企みます。彼の鞄に宝石を忍ばせ、彼を盗人に仕立て上げたのです。そして二人が町を発つ直前、アンドレスは警察に連行されます。

 祖母はいとしいプレシオサのため、彼女の恋人を救おうとアンドレスの本名と素性を明かします。さらにわが身を顧みず、自らの過去を告白します。すなわち、プレシオサが幼少の頃、彼女の両親であるドン・フェルナンドとドニャ・ギオマールから彼女を誘拐したという事実です。そして、その証拠にプレシオサの胸に傷跡があることを示します。ムルシアの貴族であり、判事でもある父親のドン・フェルナンドはこれを知って驚き、娘を温かく迎え入れるとともに、アンドレスを牢獄から釈放します。そして、プレシオサことコンスタンサ・デ・アセベドとフアン・デ・カルカモ(アンドレスの本名)はめでたく結ばれることとなります。

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