リカルド・ベーリョ氏の寄稿文

親愛なる伊藤さん、スペイン文学に関するあなたの最新の記事を読んでとてもうれしく思いました。興味深く拝読し、またあなたの訳された井原西鶴の『世間胸算用』をベネズエラで読んだのを思い出しました。当時の日本の商人たちが大晦日を無事にやり過ごすため、あの手この手を使っていかに借金取りの目をくらまそうとしていたかの描写は驚きでした。私は大学でスペインの「ピカレスク(悪者)文学」についても学びましたが、私のお気に入りはマテオ・アレマン作の『グスマン・デ・アルファラーチェ』でした。天才的な作家で、他の悪者とは一味違ういわばやや複雑な悪者を扱っており、彼は人生の終わりに “反宗教改革” 独特のキリスト教的モラルに目覚め、罪の意識をもち、ケベードの悪者のような陽気さはありません。いずれにしてもケベードの詩はスペイン詩の「システィーナ礼拝堂」(注:バチカン宮殿にある礼拝堂)とも呼べるものでしょう。彼の詩『死を超越した変わらぬ愛』はスペイン語で書かれた最も美しい文学作品の一つでしょう。学生時代に私はダマソ・アロンソの本を参考にしてこの詩の分析を行ったことがあります。ラテンアメリカのピカレスク小説としてはメキシコのホセ・ホアキン・フェルナンデス・デ・リサルディの『ペリキーリョ・サルミエント』(1816)がありますが、恥知らずな悪者を扱っていますね。

私の父はピカレスクを読んでは大笑いしていました。『ラ・セレスティーナ』、『ラ・ピカラ・フスティナ』、『ラサリーヨ・デ・トルメス』、そしてもちろんケベードなどを繰り返し読んでいました。しかし父はピカロからはほど遠い存在で、とても厳しい、完璧主義者でした。工学博士でしたが、その後哲学に転向し、ベネズエラ中央大学でカントの講義をするほどになりました。

いつの日か、そう遠くない将来に、井原西鶴を美しい原文で読めるようになりたいものです。  

リカルド

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