ティルソの『セビリアの色事師と石の招客』

 希代の女たらしとして知られる伝説的人物「ドン・フアン」はそもそもティルソ・デ・モリナ(1579 ?-1648) のこの作品によって定着したと言われます。その後モリエールの劇、バイロンの詩、モーツアルトの歌劇など、多くの物語、喜劇、オペラに登場することとなりました。また、スペインでもホセ・ソリーリャ(1817-1893)の戯曲『ドン・フアン・テノーリオ』やホセ・デ・エスプロンセーダ(1808-1842)の物語詩『サラマンカの大学生』においてこのドン・フアンの伝説が扱われ、いずれもスペイン文学史に残る傑作となっています。

 この戯曲の筋書きは以下のとおりです。

 貴族の若者ドン・フアン・テノリオは、ある夜、顔を覆ってナポリ王の宮廷内にあるイサベラ公爵(女性)の部屋に侵入する。別れ際、明かりをつけようとしたイサベラは相手が婚約者のオクタビオ公爵ではなく、見知らぬ男であったことに驚き、悲嘆にくれる。国王から犯人の逮捕を命じられたスペイン大使(ペドロ・テノリオ)は、なんと犯人が自分の甥であることを知り、そっと逃がしてやる。そしてシシリヤかミラノに身を隠すよう告げる。

 ドン・フアンは船でスペインに逃げるが、タラゴナの沖合で嵐に遭い、半死の状態で、下男とともに岸にたどり着く。陸からそれを見た女漁師ティスベアはドン・フアンを介抱する。彼はたちまち彼女に惚れこみ、彼女も彼に憧れる。身分の違いを気にする彼女に結婚を約束して迫る。そして案の定、彼女も男は信じられないことを悟る。

 ドン・フアンの知り合いのモタ侯爵は、自分の恋人ドニャ・アナはリスボン出身の絶世の美人であるとドン・フアンに話す。そこでドン・フアンは居ても立ってもいられず、モタ侯爵に変装してアナに近づき、思いを遂げる。アナの父親ゴンサロがそれを知って激怒し、ドン・フアンに決闘を挑むが、返り討ちに遭い命を落す。

 ドン・フアンはセビーリャから逃げる途中、ドス・エルマナス村で偶然ある結婚式に遭遇する。その村のバトリシオとアミンタの結婚式。新郎のパトリシオは若い貴族が出席すると聞き、嫌な予感がする。果たして、新婦アミンタはドン・フアンの優しい言葉と結婚の約束にまんまと口説き落とされる。

 再びセビーリャに戻る途中、国王の命で造られたというゴンサロの墓を目にする。墓石には、「忠義の騎士、主による裏切り者の成敗を待つ」とある。ドン・フアンは、「仕返しをしたければ、今夜宿での夕食の席で待っている、石の剣で何ができるか」とうそぶく。夜、宿の戸を叩く音がし、召使たちが震え上がる。ゴンサロの声が、「明日の夜、自分の墓で夕食に招きたい」という。ドン・フアンはからかうつもりで招待に応じる。そして最後は彼の石像に復讐される。ドン・フアンは懺悔の機会も得られないまま、永遠の地獄に堕ちる。そして名誉を傷つけられた女性たちはすべて名誉を回復し、本来の求婚者と結ばれる。

 ところで、日本の古典に登場する女たらしと言えば、やはり井原西鶴の『好色一代男』(1682)でしょう。その時代を鋭く切り取ったこの作品は好評で、浮世草子という新しいジャンルを創始しました。内容は京都の大金持ちと名妓(めいぎ)との間に生まれた主人公、世之介の一代記。『源氏物語』における光源氏の賢さを示す7歳の読書始めをもじった7歳の折、腰元に声をかけるのが色始め、と早熟な世之介は、諸国を巡り男女と交遊を重ね、その人数も「たはぶれし女三千七百四十二人、少人のもてあそび七百二十五人」と具体的に記しています。最後は、60歳で友人達と「女護の島」を目指し「好色丸」で船出します。ティルソ・デ・モリナはドン・フアンを、井原西鶴は世之介を世に送り出しました。(了)

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