アソリンの短編 『永遠』

 『永遠』は1941年に発表されたアソリンの短編集『マドリード』の冒頭を飾る小品です。禁欲的なアソリンの人生観がよく表れている気がします。

 私はお蔭様で今なにも必要としていない。かつては有名な作家であったが、もはやそうではない。作家でも有名人でもない。もう誰も私を知らない。街道が丘の麓を走っている。私の家まで登る道はくねくねと折れ曲がり、香りのよい植物に覆われている。家は3階建てであるが、スペースはむしろ狭い。私は階下に住み、上の階には村の本来の住民である伯父夫妻アンドレウとスンシオナが住んでいる。村はこの住まいから6キロ離れた山裾にある。汽車の駅へ行くにはそこからさらに2キロほど谷を下らねばならない。

 海は遠くない。地中海だ。屋根裏の窓からでも見えないが、その存在は感じとれる。家から30キロなので、ここは年中陽光が降り注ぎ、空気は乾燥している。

 私はもう何ものも必要としない。自分の仕事は成し遂げた。すでに十分に書き、これ以上もうなにも書かないだろう。ここで何をし、いつまでこの家にいるのかも判然としない。ここでの食べ物は質素かつ基本的なものである。自分はものを書くときも、文章は質素かつ基本的であることを心掛けてきた。しかし基本的であろうとすることは実に骨の折れることでもある。

 いまは手紙も来ないし、訪ねてくる人もない。時は過ぎ去った。人との出会いも出来事もあった。なにも考えたくなかったが、つい考えてしまう。私はこれを自分自身のために書いている。人との出会いも出来事もあったが、世界は変った。人の好みも変った。しかし心からの感情が私を揺さぶる。50年前の現在が過去と化したりはしないということだ。時間の経過によって消え去るものはない。自分にとってはすべてが現在であるという動かし難い確信がある。時間の面は一定であり、すべてが現在という同じ面上にある。過去も未来も現在と同じ時間軸にある気がする。そして、この大きな神秘を隠しているベールを我々は剥がすことができない!世間の騒音から離れ、皆から忘れ去られ、この家で精神的冷静さを保ち得るのはまさにこの現在の永遠性にあると言えよう。過去の人も現在の人も、1万年前の人も現代人も、忘れられた人も有名人も、有力者も庶民も、同じ時代を生きるすべての者が同等である永遠性、すべての我々を包んでいる途方もない永遠性。(了)

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